Mar 18, 2014

31景 吾嬬(あずま)の森連理の梓 View 31 Azuma Shrine, The Entwined Catalpa

実はこの31景のタイトルには大きな誤りがありまして。
連理の梓(あずさ)とありますが実際にあったのは樟(くすのき)。
梓と樟の字が似ているので木版を彫る人が間違ってしまったんだそうです。アララ

The title of this print has a big error.
It was not a catalpa tree that was entwined.
It was a camphor tree.
Because the letter camphor (樟)and catalpa (梓)are quite similar, the carver of this woodblock print made a mistake. 

場所は亀戸の近く。流れているのは北十間川です。
川沿い、画面右端に鳥居が見えますね。
その鳥居をくぐり、のぼりのたった道を行くと、吾嬬神社です。
見えにくいですが、一番高い木をよく見ると、2本の太い幹がすっくと伸びています。
この木が連理の樟(くすのき)。
「夫婦和合」「縁結び」などの象徴です。

This is near Kameido.
The river is Kita Jikken Canal.
Do you see a torii gate right by the river (at the far right)?
Go through it and follow the banners, and you are at the Azuma Shrine.
The tallest tree in the premises, which has two big trunks, is the Entwined Camphor tree, a symbol of "a good couple."

吾嬬神社の吾嬬というのは「我が(吾が)妻よ!」という意味。
そう叫んだのは「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」なんですよ。

The shrine's name, Azuma, means "Oh, my wife!"
Where does the name come from?

It's the cry of the ancient hero, Prince Yamato Takeru.

ヤマトタケルはその妻、弟橘媛(オトタチバナヒメ)を伴い、東征の旅に出ましたが、東京湾を航行中、突然の嵐に遭遇。
オトタチバナヒメは海神の怒りを鎮めるため、海に飛び込み、自らが犠牲となって海を静めたのでした。
「ああ、我が妻恋し!」ヤマトタケルが嘆くと、突然小さな島(浮州)が現れ、ヒメの着物が流れ着きました。
ヤマトタケルはその浮州に廟を作り、ヒメの着物を納めました。
それがこの吾嬬神社というわけです。

Prince Yamato Takeru and his men, and also his wife, Princess Ototachibana were heading east to conquer the eastern Japan.
When they were crossing the Tokyo Bay, a big storm hit their boats.
In order to calm the sea god, Princess Ototachibana threw herself into water, and the storm was gone.
Prince cried out "Oh, my wife!"
Then, a small island rose from the water and Princess's kimono came ashore.
Prince enshrined her kimono on the island, and that's the origin of this shrine. 

ヤマトタケルは樟の箸をその地にさしました。
それがだんだん大きくなって、連理の樟になったというわけです。

Prince also planted a pair of camphor chopsticks here.
It grew into the Entwined Camphor.

さて、吾嬬神社に行ってみましょう。

Now, let's go and see the shrine.


福神橋のそばにあります。

It's right near the Fukujin-bashi Bridge.

北十間川にかかる福神橋 Fukujin -bashi Bridge over Kita Jikken Canal
 橋からの眺め。スカイツリーが見えます!View from the bridge.  Sky Tree!

吾嬬神社への入り口。
This is the entrance to the Azuma Shrine.
  のぼりが立ってます!banners! (^^) 
ヤマトタケルとオトタチバナヒメの話はここに詳しく書かれていたものです。
なんと手書きです! 平成24年78歳と署名してありました。すごいですね。

The above story of the prince and princess is from this sign board. 
It is hand-written by a 78 year-old man in 2012!  A great hand writing!

これがのぼりの立っていた参道。
両脇には家やアパートが建っています。でもその先には…

This is the approach which once was lined with many banners,
  now in between houses and apartments.  
のぼりはないですね。 No banners. (^_^;)

吾嬬神社がちゃんとありました。

Then, you are at the main shrine.


鳥居を抜けた右側にあるのが…

Enter the torii gate, and on your right is this

かつての連理の樟。
戦前まで残っていましたが、第二次世界大戦の空襲で焼けてしまったそうです。(T_T)

remaining of the Entwined Camphor.
The tree was destroyed in 1945 by the US fire bombing. (T_T)

でもそばに新しい木が育っていました。\(^o^)/

But now, a new tree is growing right by it. \(^o^)/

 ちゃんと2本の幹かどうかチェックしてくるのを忘れてしまいました。(^_^;)
I forgot to see if it has two trunks. (^_^;)

どんどん大きくなってほしいものです。 I hope it will grow and grow.

大きな神社ではないのですが、古いものがたくさん残っています。

Though this shrine is not so big, it has many old things.

日本橋の商人たちが寄進した狛犬(1744年)
Old Komainu from 1744 donated by Nihonbashi merchants
吾嬬森碑 (1766年)
Monument telling the history of the shrine, built in 1766
すっごく大きな石碑ですが、残念ながらなんなのかわかりませんでした。
a very big stone monument (But I couldn't find what it is.) 

敷地内の福神稲荷 鳥居の裏には「天保九戌歳 願主 信濃屋 筆女」と書いてありました。
新しく見えるけれど古いのかな?
Fukujin Inari Shrine in the premises  This torii is from 1838, I believe.

子連れきつね Mom and child

古い石(力石?)もごろごろありました。回りにはほうきではいた跡が残っています。境内を毎日掃いている人がいるんでしょうか?
Old stones.  I saw brush strokes around them.  Somebody is sweeping the premises daily.


下町の静かな素敵な神社でした。(^^)

It was a good quiet shrine hidden in shitamachi. (^^)

さて、神社も見終わりました。
川の反対側、広重の視点のあたりに戻って、昔と今を比べてみましょう。

I went back to the canal, to the other side, to Hiroshige's viewpoint.
Let's compare then and now.




全然違って見えますが、吾嬬神社の入り口は見えています。
吾嬬神社が今でも大切にされていて、本当によかったです。

They look so different, but the shrine is still there.
And the people are taking good care of it.





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8 comments:

Minoru Saito said...

こんにちは。今回も楽しく拝見させていただきました。
 比翼連理とは、長恨歌からきた言葉、
「在天願作比翼鳥、在地願爲連理枝 - 天にあっては願わくは比翼の鳥となり、地にあっては願わくは連理の枝となりましょう」きっと後の時代の人が、蓮理の楠と言い始めたのかな思いました。
 吾嬬神社もそのうちに今戸神社のようにパワースポットになるかもしれません。

Merry Witch said...

Minoruさま

私は京都の下鴨神社で「連理の賢木(さかき)」というのを見て、その時初めて「連理」という言葉を知りました。

さすが、Minoruさま、長恨歌がするりと出てきましたね。(^_^)

吾嬬神社は江戸時代には多くの人がこの木を見にやってきたそうです。でも私は今のままひっそりしていてほしい気がします。

cosmos said...

面白かったです!たくさんのことを知りました。連理という言葉も初めて!来週出雲に行くので、今古事記の現代版を読んでいるところですが、丁度ヤマトタケルが出てくるところです。吾嬬神社の謂れ、とても興味深く読みました。ありがとうございました!

Merry Witch said...

cosmosさま
楽しんでいただけると嬉しいです!

出雲大社にお出かけですか?私も一昨年出雲大社に行く前に古事記(簡単なものでしたが)読んでいきました。なんだかそんなところにも親近感が湧きます。(^^)

でも古事記は登場人物の名前が難しいからか、なかなか理解した気がしません。

出雲大社の横にある博物館がとても興味深かったですよ。
よいご旅行を!

Rurousha said...

I've been to all these places! I was stalking Sky Tree. :D

story tell said...

Merry Witchi 様

吾嬬神社、楽しく興味深く読ませていただきました。
弟橘媛が祭られているとの事、今から2000年近く前の出来事、それが、江戸明治そして今も。自分の身をていして災難を救った事で、やはり女性のかがみとして、末長く祭られて、続いている、すごいです。
でも昔は戦争に妻を連れていったのですね、それが又すごいです。(;゚Д゚)!
何千年も続く夫婦和合の神様、縁結びの神様これがまた嬉しいですね。

追伸
 マーチエキュートに行ってきました。
 N3331は超満員で、ランチに沢山の方が並んでいました。でも待って特等席に座れました。中央線が上下線間近を通り、総武線も山の手線、京浜東北も座席から見れる場所、感激しました。コーヒー、サンドイッチも美味しかったです。外のプラットホームにも出てみました。皆さん通る電車とツーショット、スリーショットで、記念撮影していました。

お店もなかなか他で見られない様な品が多く又、お店の数も予想より多い様に思いました。又長さも結構長いですね。

少し寒かったのですが、外で、マリンバ演奏会もやっていました。お陰様で楽しい時間を過ごす事ができました。ヾ(*´∀`*)ノ
情報ありがとうございました。
今後とも情報発信宜しくお願いします。

Merry Witch said...

Rurousha,
Of course! You are the pure Sky Tree-ist. (^^)

And a shrine with a beautiful story, you can't miss. (^_-)

Merry Witch said...

story tellさま
そうなんです。私も弟橘媛が東征に同行していたというのが理解できないんですよね。どういうことでしょう?

マーチエキュートのN3331はそんなに混んでいたんですか?(>_<)
でもちょっとホッとしました。私が夜行ったときには随分空いていて、いいお店なのに経営は大丈夫かと心配になったほどでしたから。
特等席に座れてよかったです。(^^)